能「小野浮舟」(おののうきふね)

machan

2005年03月13日 08:44



中野「梅若能楽学院会館」で「女による女のための
女の能」が開催されました。昨年から楽しみにしていた
イベントでした。メディアに大々的に取り上げられたこともあって、満席で、われわれの席は補助席でした。それでも豪華な衣装や出演者に満喫してきました。
能楽師の杉澤陽子(はるこ)氏より回答が・・・
回答をいただきましたので掲載します。感謝します。
==================

昔は女流能があったかというご質問ですが、簡単に言えばあったそうです。
南北朝は政治は乱れに乱れ、その分、民衆は民族芸能に癒しを求めたのでしょうか、田楽、曲舞、猿楽、白拍子、くぐつなど女芸能がさかんだったようです。猿楽(のちの能)の名手観阿弥(世阿弥の父)も曲舞の名手といわれた乙鶴という女性に曲舞を習ったという記録があるそうです。
南北朝期に巫女達が猿楽の能をした記録があるそうです。
「女猿楽の能を寺僧見物は沙汰の限りなり、末世に成下る故なり」といわれているのから見て、やはり好色を刺激するものがあったようです。将軍足利義教も女猿楽は好きだったようで御所に召して、舞わせたという記録があります。

動乱が収まり、武家政治により安定してくると、能楽が武士の式楽となり、武士の教養、精神修養として重要視されて、女流能は禁止されるようになったようです。
室町期の女猿楽については一つの論文が出来そうなくらい面白い分野です。

以上、大分端折っているのですが、ご理解頂けるでしょうか?

追記
昭和23年初めて能楽協会員に女性が認められ、平成15年、56年目にして20名の女流能楽師(含む囃子方)が無形文化財保持者に認定されました。男性はその芸暦と功労によってかなりの数の方が指定されています。(人間国宝とは別)そのお一人が足立礼子師です。
やっと男性と同等になって、スタートしたことになります。

現在東京在住の観世流シテ方は256名 内女性は約40名(高齢・休業者も含む)
全国では、5流・囃し方を含むと1000名ぐらいでしょう。男女の比率は5分の1ぐらいかも。

杉澤陽子(陽泉会・観世流能楽師)
関連記事